SATOSHI TANAKA MOTOR RACE

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Lotusのルマン挑戦への歴史は、

1955年にLotus Mk9でルマン24時間レースに初参戦。しかしリバースギアを使ったことで失格。

1956年は改良型のLotus 11(このクルマから「Mk」がなくなる)でルマンに挑戦。

Lotus 11の最大の特徴は軽量化。
一部アルミパネルが補強部材の効果を兼ねたスペースフレームには細いパイプを使用し、
乾燥重量390kgという軽さを実現しました。

フロントに搭載されるエンジンは主にCoventry Climaxの直列4気筒。
当時のこのクラスの主力エンジンで、
1098ccのFWAが74ps/6250rpm、1460ccのFWBが100ps/6200rpmを発生します。

1956年のルマンでは1098ccエンジンの1台が1.1Lクラス優勝の総合7位、
1957年のルマンではフロントサスをストラットからダブルウィッシュボーンに変更したSr.2となり、
1.1Lクラス連覇の総合9位。また744ccエンジンを積んだマシンが総合14位で性能指数1位を獲りました。

Lotus 11にはLe Mans、Club、Sportの3グレードがあり、
Le Mansはリアがインボードのディスクブレーキ、ドディオンアクスルのサスで、市販車のトップグレードです。

1956年のLe Mansでクラス優勝したマシンは、ゼッケンNO.36、R.Bicknell,R.Jopp組、シャシーNO.210LMワークスカーです。

この11はシャシーNO.208なんですが、実はこのNO.208を改良されて作られたのがNO.210LMだという事なんです。
つまり、シャシーNO.208と210LMは同一車だったという事実は、
『LOTUS THE HISTORIC YEARS 1956-1958』THE HISTORIC LOTUS REGISTER著の文献に明記されています。
その後、Ian Walkerの手に渡り、その後あのGraham Hillのドライブによりイギリス国内のレースで連戦連勝、
『Yellow Peril』"危険なイエロー"と呼ばれたのは有名な話です。
実は、Graham HillはLOTUSのメカニックだった時に、
自ら組み立てたLOTUS11がシャシーNO.208だったという事実もLOTUSの文献からも明らかになっています。